ユング心理学におけるアーキタイプ(元型)、シンクロニシティ(共時性)、コンステレーション(布置)、ヌミノース(宗教体験)に関する映画やTVドラマを取り上げています。
●元型はイメージであり、また情動である。その両者が同時に存在するときにおいてのみ元型ということができる。たんなるイメージだけのときは、それはたんなる絵文字で、何らの結果ももたらさない。しかし、情動を担うことによってイメージは、そのヌミノス※(あるいは、心的エネルギー)を獲得する。したがってそれは力動的となり、何らかの結果がそれから生じてくるにちがいない。
※ヌミノスはルドルフ・オットーによって提唱された概念。宗教感情の中心的なものとして、畏敬、魅惑、力、の感情を伴う。ユングは、宗教体験を示すものとして、この概念を重視している。(オットー著、山谷省吾訳「聖なるもの」岩波文庫、参照。)
・本編が始まると主人公の元牧師グラハムが睡眠から目覚めます。その起き方からしてグレートマザー元型を見てます。つまりオープニングは彼の夢です。実際のイメージは白黒反転した像で、見ていられるのは1秒ほどでしょう。あまりにも怖くて目が覚めます。
・夢で見たイメージが内的事象でミステリーサークルが外的事象。これが最初のシンクロニシティです!などと、のんきなことを言ってる場合ではありません、何故ならグレートマザーとの対決が待っているからです。
・グラハムが犬のオシッコを拭き取る場面と、キャロライン警官が話すキャンドルマンさんの一件は、元型の活性化が惹き起こす気味の悪い嫌な感じを、観客に体感してもらうための演出です。実際その様な気分の時は、危機が間近に迫っていることがあるので、状況をよく見て最善と思う行動を取るべきです。
・元型は善と悪、肯定と否定などの両極性を持ち、グレートマザーは生と死を司ります。恐らく死は免れません。しかし洞察力と勇気があれば最悪の事態を避けられるかもしれません。
・ボーの危機はモーガンが救いました。グラハムとメリルの不注意でした(特典の削除シーン参照)が、普通そこまで気が付きません。飼い犬は身代わりです。元型像を見たのは2人。次に狙われるのは誰?
・繰り返し思い浮かぶ記憶に重要なメッセージが含まれています。元型が意識に上がる際、その型に関連する記憶などの内容も一緒に引き上がってきます。グラハムが子供たちに誕生時の思い出を話す場面と、メリルが幼少期に肘を脱臼した理由を話す場面がある(削除シーン参照)。
・グレートマザーに実体はありません。映画ではモーガンの喘息発作の原因のひとつであるテレビを宇宙人に見立てています。メリルがバットでぶっ叩いたのがテレビ。水に弱いです。皮膚がカメレオンなのはブラウン管です。
・ボーの「コップの水が汚染されてる」は神経症の症状で、ゆえに元型を見たのでしょう。元型の作用で原因となった記憶が戻って治癒したはずです(ブロイアーのアンナの症例参照)。モーガンも発作の原因だったテレビがなくなったし、母の遺言を守っていれば回復へ向かうでしょう。グラハムは牧師に復帰、メリルは野球、いや、軍に入隊かな。
・ユングは元型の概念を提唱、患者の治療に生かしました。元型像の意識化はグラハムのような心の支えを失った患者に対して行っていたようです。
・ここまで完成度の高い脚本を書いちゃうシャマラン監督って何者?
画像はタイトーが1990年にリリースしたアーケードゲーム「マジェスティックトゥエルブ」の一場面。社会現象を巻き起こした「スペースインベーダー」の第4弾で、ボーナスステージがUFOから牛を守るキャトルミューティレーションでした。UFO、宇宙人、キャトル~、MJ-12とくれば、我々世代は矢追純一のUFO特番を思い出します。決まり文句は「宇宙人からの警告なのかもしれない!」。
【追記】戦慄する黒い穴の元型夢が意味するのは、身近な人や動物の突発的な死か、自身に降りかかる災難の予知※です。日記を付けていないので不確かですが、それが現実になるX日は私の場合、数週間から1か月先という印象です。X日に近くなると警告が激しくなります。睡眠時には物語のある夢で、覚醒時には外的事象による布置で知らせてきます。その方法や表現は恐ろしいほど創造的です。当然、異様なことが続くと気味が悪くなります。その時は布置をよく見て、自分が最善と思う行動を取るべきです。『サイン』のように生の道があるはずです。
※厳密には、夢は心の現実であって予知ではない。物理現実との符合は共時的現象というのが正しい。
「元型とは何か?」まとめ②
●元型の概念を正確に定義することは出来ない。
●どの元型に対しても任意の(あるいは、一般的な)解釈を与えることは出来ない。
●元型とは、どのような理由で、あるいは、どのような方法で、それが生きている個人に意味を持つのかを辛抱強く発見しようと試みるときにのみ、生命を持つ。
●(諸元型の)名前の意味などどうでもいいことで、肝心なのは元型が個人にいかに関係するかということである。
引用:「人間と象徴(上巻)」著者C.G.ユング他、河合隼雄監訳、河出書房新社
2.『プロフェシー』2002年
・蛾男事件という実話を題材にした映画です。
・物語中盤、警察官コニーが新聞記者ジョンに夢の内容を話す中で元型的イメージが出てきます。
あれは夜よ 大海の真ん中にいた
泳ごうとしても寒くて ただ見回してた つかむ物を探してたの
プレゼントが周りに浮かんでた リボン付きで つかもうとしたけど手からすり抜ける
私は沈み始めた 石みたいに 何もできず落ちていく でも快感なの
力を抜いて 沈むままにまかせ 周りは真っ暗よ でも分かった
私の上は闇だけど 光が下から射してて 死ぬんだと
その時 声がしたわ 耳元でささやくみたいに
「目を覚ませ 37番 目覚めろ」
で目が覚めたの
・この夢はコニーの危機に救世主が現れる予知夢で、そこには2つの元型的イメージが現れます。1つ目は《大海の真ん中で沈む》。情動は分かりませんがコニーは涙ながらに語っていることからグレートマザーかもしれません。2つ目は《下から射す光》で、情動は快感。アニムスで間違いないです。光が何なのか分からなくても、本人は情動で気付いてるはずです。しかしながら1度の夢で2つの元型的イメージが現れることが実際あるのか分かりません。
・コニーはテレビでジョンのことを以前から知っていたし、理想の男性だったことは間違いないでしょう。出会って間もないジョンを一人暮らしの自宅に招いています。
・問題は蛾男ですが、それをひとつの元型とした場合、ジョンの体験はヌミノスと言えます。元型は主を変性意識状態にして、予言などを聞かせたり、見せたいもの自在に見せることができます。実際それらは抽象的、象徴的、神話的になることが多く、ひとつの事象で具体的な意味を知ることは難しいです。その場合、コンステレーション※を見ると分かることがある。
※コンステレーションは星座のことですが、ユング心理学では布置と言って、ある人、ある状況、ある出来事に深い情緒的反応があった時に「布置する」と言います。星の配置を見た時に、天秤に見えたり乙女に見えたり、あるひとつのことを伝えている様に見えたりするわけです。
◆余談1:私は映画を分割して観ることがほとんどなんだけど、ある日の昼間、交差点で信号待ち中に目の前をクラシックなスポーツカーが通った。その車のドアには大きく「37」と描かれていた。その夜、『プロフェシー』の続きを観た時に数字の一致に気付いたが、意味は見いだせなかった。強いてあげるなら車の数字が36以下でなくて良かったぐらい。この様な符合はよくあるけど、スコトーマの原理(心理的盲点)によるもので、共時的現象ではない。ここまでは7,8年ほど前の出来事で、今回それを書いた数日後、新聞で「37人○○○」という見出しが目に入った。もちろん共時的現象ではないが、37人目の方は気の毒でした。
◆余談2:トランプ大統領の愛読書の中にユングの本があると知った途端、トランプさんに親近感が湧くという不思議。「掘って、掘って、掘りまくれ!」は無意識のこと?
画像はタイトーが1994年にリリースしたアーケードゲーム「ダライアス外伝」の一場面。自機シルバーホークに主体性(キャプチャーボール)を奪われて、ヌミノス状態に見えなくもない中ボス。ゲーム中のBGMはユングの「元型論」からヒントを得て作られています。ゲーム開始時の曲はメインテーマで、自我が崩壊していく様子を表現しているという。当時、シューティングゲームから歌が聴こえると話題になりました。
3.『スラムドッグ$ミリオネア』2002年
・テレビの人気クイズ番組が題材の映画で、アカデミー賞8部門受賞しました。
・クイズとその答えが布置になっています。過去の記憶を利用するのは元型の得意技です。ラスト前の問題では番組司会者というドラゴンとの一騎打ちになりました。見事ドラゴンを退治したのに呼応するようにラティカが解放、全問正解と同時にアフィアのボスと兄サリームのふたつのドラゴンも倒れました。
・アニマの元型像が意識に現れた場合、映画の様な劇的な共時的現象が起こりえます。個人的無意識から来るイメージでは何も起きません。よくあるのが、アニマの投影対象である実在の人物が登場する夢。情動はアニマでもそれは元型ではなく、単なる願望充足の夢でしょう。元型像は普遍的であること。投影の引き戻しとアニマの意識化が行われること。その場合、間違いなく元型であり、共時的現象を期待できます。『いま、会いにゆきます』の様な奇跡は起きないにしても(可能性は0ではない)、何らかの形で目の前に現れます。ただし、良いことばかりでなく、相反することも同時に起きます。対立性の現象はフロイトの「心的外傷体験状態への固着からくる再体験・反復強迫」とも考えられます。『スラムドッグ$ミリオネア』や『いま、会いにゆきます』でも主人公とヒロインは、くっついては離れるを繰り返しています。
【追記】私はアニマの元型像を白昼夢で見ました。白昼夢※は、ユング派が使用するアクティブ・イマジネーション(能動的想像)とおそらく同じです。夢は暗闇の空間をゆっくりと降りて行く感じでした。所々に靄がかかっていて、四角柱の木材の様な物が漂っていました(現実に事が起きた後で共時的現象であったことが分かった)。さらに降下すると、木材やガラクタがバラバラに折り重なっていた。それらをどけていくと、突然、光が現れ、同時に生じたアニマの情動にびっくりして我に返る。その情動は普段感じていたアニマと少し違っていました。一言で表すと「宝物」。大人になるとは心が汚れることだと改めて思った。実はアニマ像を見たのは2回目で、初回は8歳の頃でした。像は暗闇から心臓がジワ~ッと滲み出てくる感じでした。色はワインレッド。もしかすると「ワインレッドの心」を作詞した井上陽水さんも同じ像を見たのかもしれません。
アニマ元型像との遭遇をギリシャ神話に当てはめると、身籠ったメティスをゼウスが飲み込んだ状態が「ワインレッドの心」で、ゼウスの割れた頭から完全武装したアテナが飛び出て来た瞬間が「光のアニマ」となる。現実のアテナは良いものですぞ。
※目を開けた状態で夢を見る方法で、私の場合、後頭部辺りに映る像を見ています。アニマの元型像は2回とも自発的に見たわけではなく、全くの偶然です。
◆余談1:アニマにはいくつかの段階があるのだが、生物学的段階(肉欲のアニマ)でも元型像が現れるのか興味ある。その場合、女性関係で大火傷を負ってしまう男あるあるの警告と見るべきだろうか?
◆余談2:解説書によると、全問正解の賞金2000万ルピーは約4000万円。本場イギリスの最高額は1億3000万円。日本の最高額は1000万円。ニホンヤバイ。
図書館で借りた本の中からいくつか紹介
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『夢とこころの古層』河合俊雄著、創元社、2023年
・第10章にある指揮者・佐渡裕の体験談が良かった。あらすじは次の通りですが、詳細は本書か原著※で読んでほしい。
1)佐渡裕はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の指揮をすることになった。
2)最終リハーサルを終えたが、第2楽章が何か腑に落ちないままだった。
3)本番前の空き時間に仮眠をとった際、少年時代に亡くした親友にまつわる夢を見た。
4)そして本番。問題の第2楽章で衝撃の体験をする。
・こういう実話を探していた。佐渡さんは、かなり前から元型が活性化していて、満を持して例の親友が夢に現れたのだと思う。元型は過去の記憶を利用するの得意です。
※『棒を振る人生―――指揮者は時間を彫刻する』佐渡裕著、PHP新書、2017年
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『ユング心理学の世界』樋口和彦著、創元社、2019年
・著者が見たフォン・フランツ女史(ユングの弟子)の印象が4コマ漫画の主人公。一般向けのゆるい心理学雑誌があれば載せたいくらい。
・著者はアメリカ留学して、宗教心理学者で有名な教授の講義を受けたらユング心理学の講義で、その内容も教授の英語もさっぱり分からなかったとか、患者の臨床ケースの宿題で、「私は全く分かりません」とだけ書いて提出したら、あとで呼び出されたとか、分析心理学研究の第一人者であるエステル博士の講義が恐ろしくつまらなくて堂々と一番前で寝ていたとか、当時のことを面白おかしく書いています。
・そういえば、共時性についての記述が無かったような気がする。
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『心理学と錬金術 I 新装版』C.G.ユング著、池田紘一・鎌田道生訳、人文書院、2017年
・2017年に出た新装版。旧版との違いを見るために借りた。たぶん1977年の重版と同じです。誤りもそのままでした。
・第1部は面白いです。ユングの皮肉交じりの表現にニヤニヤ。第2部以降はイミフw
4.『アリー・マクビール』2nd.シーズン第10話 1999年
・トレーダーのマスクウェル氏はオフィスで「ユニコーンを見た」と口走ったため、正気を疑われ解雇される。そんな彼を弁護することとなったアリーとビリーだが…。
・ユニコーンは実在しない伝説の動物で、キリストの象徴です。ユニコーンを見ると、どうのような体験が待っているのでしょうか。
・マスクウェル氏は統合失調症の疑いがありますが、心理学上は幻視も幻像も夢も同じ扱いなので、解雇は不当と言えます。例えば「昨晩、ユニコーンと戯れる夢を見ちゃったよ~」と言っただけで解雇はあり得ません。しかし「そこに幽霊が居る」と真顔で言ったら、場合によっては問題になるでしょう。
・重要な取引の最中にユニコーンや幽霊に気を取られて損失を出しているのに、それを会社が放置していたとして、そのことを顧客が知れば、会社は責任を問われます。やはり解雇は妥当でしょう。
・それに対して、ビリーの名弁論は本編で御覧ください。
【判決】今の世の中、人は皆、空しさに悩んでいます。そして、その悩みはお金では解決できません。希望を求める孤独な人々は、奇妙なところで希望を探します。それはクリスマスの季節に限りません。だから私は、ユニコーンを認めます。解雇不当の申し立てを認めます。閉廷です。バン!
・実は、クリスマスの奇跡で癒されたのはマスクウェル氏だけではありませんでした。
・おまけ:セクシーな衣装のエレインが、電動ドリルで木材に穴を空ける場面は絵になる。全身ショットが欲しかった。ドリルがユニコーンに見える。
ヌミノースへの接近(元型像の意識化)
無意識の探求によって元型が意識に近づけられると、個体は人間本性の底なしの対立性と向かい合うことになり、かくして光と闇、キリストと悪魔とを直に体験することが可能となる。むろんそれは最良の場合でも最悪の場合でも単なる可能性にすぎないのであって、その体験をはっきり保証してくれるものではない。というのも、この種の体験は人間的手段によって必ず招き寄せることができるとは限らないからである。そこにはわれわれの制御できない諸要因がはたらいているのである。対立性の体験は知的な洞察力にも、感受性にも左右されない。むしろそれは運命と名づけるのがふさわしいような体験なのである。そしてこの体験はある人にはキリストの真実性を証明することにもなり、またある人にはブッダの真実性を証明することにもなるのである。―――しかも極めて明瞭な形で。
引用:「心理学と錬金術Ⅰ」C.G.ユング著、池田紘一・鎌田道生訳、人文書院
・ユングはヌミノースへの接近こそが真の治療であり、ヌミノース体験に至れば病理的な呪縛から解放されると考えていたようです。つまり、神経症の治療ではなく、人格の変容を目指していた。
・ヌミノース体験で感じる「絶対他者の存在」とは、「内在的な神」を意味します。それは一神教が信仰する神とは異なります。それゆえ、絶対他者を神と信じる者は異端とか神秘主義者と言われます。ですから『サイン』でグラハム氏が異端の神に救済されて牧師に復帰したことは、キリスト教的に問題ありそうです。それとも異端の神との戦いに勝利したという解釈なんだろうか。
・ヌミノース体験の何かに疑念を持つと、その考えを打ち消す共時的現象が起きます。驚くと同時に自分の判断が正しかったことを証明してくれた様な気がしてホッとする。逆にガッカリすることもある。それでも疑り深い私は、絶対他者の存在を感じさせるカラクリがあるのではないかと考えます。イメージと情動、共時性と布置、両極性、客観的事実、それらの組み合わせに秘密があると推測している。共時性や布置は主観の影響が大きい現象なので第三者による操作が可能。しかし、客観的事実だけは細工できません。特に命に係わることは。いつもそこで行き詰まります。そもそも、どこの馬の骨かも分からない者に対して、手の込んだ演出をするだろうか?という結論に至る。例えば『スラムドッグ$ミリオネア』で、主人公ジャマールに賞金4000万円と恋人を与えるために、わざわざ時間とお金を掛けて彼の生い立ちを調査してクイズを作成するだろうか?最後の問題で、三人目の三銃士であるラティカ本人が電話に出るのを誰が演出できるだろうか?物語はフィクションですが、実話であってもおかしくないほど元型的なのです。
5.『ブレードランナー ディレクターズ・カット(最終版)』1991(1982)年
・デッカードは酒に酔って感傷に浸りながらピアノの鍵盤を叩いている最中にユニコーンの幻像を見る。睡眠中の夢ではなく白昼夢と思われる。
・キリストと悪魔の体験はリオンから始まった。絶体絶命のデッカードを救ったのはレイチェルだった。
・最終決戦、バッティとの死闘でデッカードを救ったのは、なんとバッティでした。彼の右手には聖痕、左手には精霊の白い鳩(=ユニコーン)。あんた誰?w
・物語の開始日は11月。バッティの誕生日は1月8日。寿命には誤差があるので12月25日に尽きたと推測。
・ガフが折り紙で作った鳩やユニコーン、レイチェルへの救済は共時的現象。デッカードがユニコーンを握り潰す場面は、レイチェルが妊娠したことを暗示します。続編を観たいと思います。
・ユニコーンの解釈は「心理学と錬金術Ⅱ」を参考にしました。
【次回予定】
TV『ミディアム』1st.シーズン第10話 2013年
・主人公は死者と対話し、未来を見通せる霊能者(ミディアム)で、実在する霊能者がモデル。ちなみにミディアムの複数形がメディア。
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